06 ,2012
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釜石運転最終日
急遽 現地を訪れることとなりました。
金曜日夜20:00に出発し一路高速を北上
今回運転の始発駅一関へ
午前1:30ころ現地に着くと 倉 では 釜の火守りが行われ 時おり釜の吸出しが行われてました。
とりあえず 軽くバルブを行い近くのコンビ二で 燃料を入れ仮眠!

夜が明け 8:30に出区
デゴイチ君は静かに出て行きました
その後 東北線の運転は捨て一路釜石線へ
今晩の宿は予約してなかったので沿線の宿等はどこもいっぱい

で、なんとか手配着いたのが大船渡の宿
ここももちろん被災地で
止まった時計が印象的です。
現地の土地はコンクリートの土台だけが残り地盤も沈下し応急のアスファルトのかさ上げでしのいでおり
悲惨な状況です。

被災以前 ここは 大船渡駅周辺で 茶屋前商店街だったところですが、駅もろとも流されたようです。
路線は剥離されひどい状況です

被害は JRだけではなく 南リアス線の大船渡~釜石間でいたるところ線路が流失し全線運休になってるようです

入り江に奥まった集落の防潮堤は破壊され いかに自然の前には人間の力など微々たるものかが伺えます

現地では 少しずつですが 復興が進んでますが このような瓦礫の山がいたるところにあります。
急遽 現地を訪れることとなりました。
金曜日夜20:00に出発し一路高速を北上
今回運転の始発駅一関へ
午前1:30ころ現地に着くと 倉 では 釜の火守りが行われ 時おり釜の吸出しが行われてました。
とりあえず 軽くバルブを行い近くのコンビ二で 燃料を入れ仮眠!

夜が明け 8:30に出区
デゴイチ君は静かに出て行きました
その後 東北線の運転は捨て一路釜石線へ
今晩の宿は予約してなかったので沿線の宿等はどこもいっぱい

で、なんとか手配着いたのが大船渡の宿
ここももちろん被災地で
止まった時計が印象的です。
現地の土地はコンクリートの土台だけが残り地盤も沈下し応急のアスファルトのかさ上げでしのいでおり
悲惨な状況です。

被災以前 ここは 大船渡駅周辺で 茶屋前商店街だったところですが、駅もろとも流されたようです。
路線は剥離されひどい状況です

被害は JRだけではなく 南リアス線の大船渡~釜石間でいたるところ線路が流失し全線運休になってるようです

入り江に奥まった集落の防潮堤は破壊され いかに自然の前には人間の力など微々たるものかが伺えます

現地では 少しずつですが 復興が進んでますが このような瓦礫の山がいたるところにあります。
06 ,2012
釜石も残すところ今週末一往復となりましたね!
結局往かず仕舞いになりそうですが、その代わり釜石現地に対しマッタリと
上越線を徘徊してました。
2009年だったか!? ほぼ同じ時期 ここで P-topを撮ったが次回は是非ここで 煙を!
と思っており下りの八木渋周辺の小手鳴らしを捨て一目散でここにきました。
おかげで 同業者はだれも居らずマッタリしてましたが、
その時同様 またもや 吸血鬼の餌食になりました。

結局往かず仕舞いになりそうですが、その代わり釜石現地に対しマッタリと
上越線を徘徊してました。
2009年だったか!? ほぼ同じ時期 ここで P-topを撮ったが次回は是非ここで 煙を!
と思っており下りの八木渋周辺の小手鳴らしを捨て一目散でここにきました。
おかげで 同業者はだれも居らずマッタリしてましたが、
その時同様 またもや 吸血鬼の餌食になりました。

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